先生と呼ばれた夜。

久しぶりにレッスンを担当しました。

講座は夜の時間が多く、毎週決まった曜日に残業するのは、今のオットと私の生活では回せないので、レギュラーレッスン担当するのは控えています。

が、都内でも有名な大学で、高得点取得クラスの代講が必要ですって?
1回のレッスンで良いのね?
終了時間は、普段のオフィス勤務より少し遅いだけ、翌日にもさほど影響なし?
高得点取得クラスだから、英語でレッスンしても良いの?

謹んでオファーお受けします。

今レッスン担当している講師が、どうやら自分のパフォーマンスにすっかり満足しきっているらしく、「出し切ってる」とは言えないレッスンが続いているそう。準備不足とか、発音疎かにしているとか。
是非はっちゃけたレッスンして来てください、そして講師にレッスン内容レポートして、ちょっと揺さぶってください、というリクエストメールが営業さんから届きました。
もともと能力高い講師だから、もっと高いところ目指せるはすなんです、と。

えー、そんな裏事情はオファー時に聞きたかったよねー。
レッスン当日言われても、私が逃げるわけにはいかないものねー。
では、腹くくりましょう。

高得点取得クラスでしょ、問題解く時間なんて極限まで減らして、アウトプット演習大量に行いましょう。
はっちゃけて来ます。

このアナウンスを聞いたあなたに、上司が、
「大変!今の聞き逃した。何だって?」
そう聞いてきたら、要約できる?

この文書が同僚のデスクにあって、その同僚が出先から電話かけてきて、
「今日はもうオフィス戻らないんだけど、何かデスクにある?」
そう聞かれたら、答えることできる?

ほとんど英語でレッスン進めます。

え?スピーキングするの?と困惑する受講生に、高得点目指すんでしょ、高得点て、英語使える、って証明として使われるべきで、点数あれば良いでは社会に出た時、点数あるのに、使えないんだね、って、期待と落胆のギャップがより大きいんだよ、期待してない人が大したパフォーマンスしなくても、まぁ、そうだよね、って思うもん、でもその逆はがっかりするよー、と一気にまくし立てて突き放します。
ここは本当に理解してもらわないといけないので、日本語で。

こんな時にいつも思います。
日本語の英語教育はほぼバイリンガルな日本人に任せて、効率良く、効果高く済ませて、その後のパフォーマンスチェックをネイティヴに任せれば良いのに。日本人では英語教えられない?とか、何のコンプレックスなの?今は戦後なの?それとも英語指導者の英語力が低すぎて、本来あるべき姿に英語教育をもう軌道修正できないの?

成人に対する英語教育は、知識の伝達ではなく、なぜ英語なのか、なぜTOEICなのか、なぜTOEICは13:00スタートなのか、なぜPart1はあんな出題形式なのか、なぜダイアログのPart3がモノログのPart4より前に来るのか、なぜPart6は12問なのか、そんな数ある「なぜ」の種明かしをするプレゼンだと考えています。だから浸透を考えたら、日本語のが効率が良いだけ、それだけのこと。優劣ではなく、効率と効果、投資(学習時間とエネルギー)に対するリターン(学びと点数)。

レッスン後、楽器店が多く並ぶ学生街を歩いて駅に向かいながら、あーこの仕事好き、そう思いました。たくさんの帰宅途中の社会人とすれ違い、一体何人が今の仕事天職!そう思って毎日を過ごしているのだろうと想像すると、私はもしかしたらマイノリティなのかなー、と。
得意で好きな英語を仕事にできて、日本の未来を担う大学生に自己表現ツールの英語習得法を伝えることができる。日本グローバル化の縁の下の力持ち。

普段は内勤で、たまに営業部に同行してカリキュラム開発の裏話したり、受講生対象のセミナーしたり、こうやって年に何回かレッスン担当できたり、あー、この仕事好きと思う瞬間がたくさんあるのは、本当に幸せなことだと思います。
働くということを考えた時、特殊な場合を除き、個々の才能や技術の差よりも、それを信じて、その才能に賭けて、その人が持つ潜在能力を最大限まで伸ばせる環境かどうか、という差のが個人、キャリアパスに与える影響が大きいと感じています。
前職は、残念ながら、そういった環境ではなく、押さえつけられて、泣くまで、片耳聞こえなくなるまで押さえつけられて、自分の能力や技術の低さが原因なのだから、もう少し踏ん張ろうと必死だったけど、10年経ってようやく、あー、あれ違うわー、と折り合いをつけることができました。
だから来週のボーナス査定がどんな結果であっても、笑顔で受け取ります、はい。